今年大注目の大河ドラマ…
「麒麟がくる」!
あまりにも有名な戦国武将ですが、今まで焦点に当てられることも少なかった「明智光秀」が主役です。
光秀と言えば「本能寺の変」、かの織田信長に謀反を起こし自刃に追い詰めた人物として知られています。
これだけを聞くと怖い反逆人のようにも思えますが……
実際に光秀はかなりの智将で、その経歴を追うと織田信長からの信頼も篤かったのではと言われるほどです。
出自や生い立ち、本能寺の変に至った原因などに謎が多い人物なので、「本能寺の変の逆臣」というイメージが一人歩きしているとも言えます。
こんなにも有名なのに謎多き戦国武将・明智光秀が主役の大河ドラマ、どんな内容になるのか今から楽しみですね♪
本日はそんな光秀ゆかりの名所 岐阜編をご紹介致します!
明智光秀ゆかりの地・岐阜編
光秀生誕の地・可児市 明智城跡
土岐明智氏の出自の地であり、明智光秀を生んだ地との伝承を持つ城跡。
光秀が落城するまでの約30年間を過ごしたとされる明智城は、自然の地形を生かした典型的な中世の山城で、現在は遊歩道が整備されハイキングコースとして最適です。
明智家ゆかりの寺 天龍寺
大正の面影が色濃く残る 日本大正村
町の一部に大正時代の建築などが残る貴重な場所です!
町全体が「日本大正村」という括りになっており、町おこしの為に発想されたアイデアだそうです。
明智ゆかりの地ということもあり、今年1月11日に「大河ドラマ館」が一年間限定の特設会場として設けられています!
【岐阜県恵那市明智町東山町】
光秀の歴史を知ることができ、かつ大正時代の雰囲気も感じることができるので、ゆったりとした歴史デートにはオススメの場所となっております♪
史跡・歴史探訪コースやなりきりハイカラさんコースといったお散歩コースも提案されています!
衝撃的な史実が眠る? 明智光秀の墓「桔梗塚」
一般的に光秀は信長を倒した後、仇討ちの為に大軍を率いて攻めてくる羽紫秀吉らから敗走、近江での再起を計るために移動中土民によって落命したというのが通説です。
光秀の首級は秀吉も確認した後さらされたそうですが……
この桔梗塚が設けられている山県市では、実は討ち取られたのは影武者であり、光秀は荒深小五郎と名乗り山県市で生き延びていたという逸話が残されています。
しかし関ヶ原の合戦にて東軍に合流しようとしたところ、川の洪水に飲まれ落命したと言われているのですから、衝撃的な説ですね。
桔梗塚には光秀の墓と、何度修復しても傾いてしまうらしい五輪の塔があります。
光秀が逆臣となったのは事実なので、そのために意図的に歴史が残されなかったことが、現代において光秀の謎を深くする要因となっているそうです。
謎多き光秀のゆかりとなっているこの山県市で、その歴史の片鱗に触れてみてはいかがでしょうか?
難攻不落の岐阜城